みかぶしトリビア・リニューアル

三河武士に関する意外な(ちょっとうさんくさいことも含めて)真実。

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トリビア3・「蜻蛉切り」はもともと「日本切り」という名前になるはずだった




『「蜻蛉切り」はもともと「日本切り」という名前になるはずだった、という説がある。』

(出典‥「家康忠勝両公三百年祭記念写真帖」(岡崎協賛会))


 トリビア2と同じく、大正時代の本からの抜粋です。

 関ヶ原の後、家康が忠勝に言うに、

「おまえの槍一本をもって天下を切り従えたのだからおまえの槍をこれから「日本切り」と称するが良い。」

 しかし忠勝はそれを辞退して言った。

「日本切りというのはまるで他に(天下取りに貢献した)人がいないかのごとしです。適当ではありません。」と。

 家康は林道春をかえりみて「日本の形」を問うた。

 林は

「蜻蛉に似ています。ゆえに日本のことを古来秋津(トンボの別名)洲と号したのです。」

 と答えた。家康は

「それでは蜻蛉切りと称すが良い。」

 と述べた、という。

 ‥「蜻蛉切り」の名前の由来は槍の穂先が余りにも鋭くて止まろうとした蜻蛉が切れてしまったため、というのが今や一般的ですが、こんな説もあるのだそうです(繰り返し申しますが、大正時代に書かれた本の記述です)。どうでしょう‥。


 私は個人的には↑の「蜻蛉イコール日本」説のほうが忠勝の奥ゆかしさが出ていて結構好きなんですけれども。
 家康と忠勝だけの秘密の暗号っぽかったりするし、なにより家康が忠勝の強さをいかに評価して感謝していたかが感じられるから。


「蜻蛉が切れたから」説のほうが現在では信憑性があるのでしょうが、蜻蛉が切れてもねえ‥。それは忠勝の強さとは関係ないし(第一とんぼがかわいそう)。

 ちなみにこの出典となった本には蜻蛉切りの本物(多分)の写真もついています(印刷は悪いけれど)。興味のある方は岡崎市立図書館に行ってごらんになってみてください。
 レプリカは「三河武士のやかた・家康館」の中に飾ってあります。

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