『井伊直政は大久保彦左衛門にちびたカツオ節をもらったことがある』(出典・・「翁草」・PHP文庫「戦国時代なるほど辞典」)
この間トリビア35で大久保忠世と井伊直政のエピソードを書いたら、ほた様から素敵なトリビアネタをいただきました(いつもありがとうございます!)。
そのお話と、孔が調べた「翁草」のお話とを合わせてお送りします。
直政が江戸滞在中に病になり伏せっていたところへ、なんとあの
大久保彦左衛門が見舞いにきたのだそうです。
彦左衛門、
「今ではお互いの身分もかなり違ってしまったが、昔は互いに馬を並べて戦功の優劣を競ったものじゃ。昔の友人のよしみを忘れられずにお見舞いに参った。」
と語りかけると、直政も
「そのとおりじゃ。昔を思い出すのう。」
と
思わず涙を流したといいます。←本当にこう書いてあるのです。
直政‥きっと
日ごろの行いが悪くて誰もお見舞いに来なかったんだねかわいそうに(←エラー)病気で気が弱くなっていた時の旧友の訪問に、日ごろ張り詰めていた心がつい緩んで、さしもの赤鬼も胸が熱くなったんでしょうね。ええ話や
しかし!あの彦左衛門がここで終わるわけがなかったのです。
直政からの
いろいろなおもてなしもあり、
数刻も話が続いた後(直政、よほどうれしかったんだねえ‥お見舞いが

)、
「これを差し上げますので、朝夕召し上がってくだされ

」
彦左衛門が差し出したのはなんと
カツオ節!! しかも
3~4寸という小ささ(…)だったそうで。
「‥‥‥。」
思わず返答に困る井伊直政に彦左はこう言ったそうです。
「大身の大名となって食べ物には不自由しないでしょうが、贅沢な衣食を改めてはどうですか。
拙者などは毎日カツオ節を食べているゆえか、病など致しません
かっかっかっ!」
‥情報をお寄せくださったほた様もメールで「見舞いに来てこの不遜な態度!いかにも三河武士ですね(笑)」とおっしゃっておられましたが、全く彦左、何しにきたん‥!
しかも、「人斬り兵部」井伊直政にこの態度とは!(しかも泣かせておいて!病身を押しておもてなしまでさせて!)
このときの直政の反応は特に記されていませんが、傍で見ていた井伊家家臣たちはもう生きた心地がしなかったでしょうね~。
‥出世してしまった旧友のところにやってきて、ここぞとばかりにくどくどといやみ(本人はそう思ってないが)を言いにきた彦左衛門。
でも。
そのまま無事にすんだということは、ひょっとしたら直政もそのへんのところは承知していたのかもしれません。
「ま、昔忠世に世話になったこと(トリビア35参照)もあるしな‥弟の愚痴くらい聞いてやるか。それにしても説教が長いところだけは兄貴に似てやがるな~こいつ。」 とか思いながら、めずらしく我慢して(たぶん右から左へ)聞いてたのかもしれません。
そう考えるとちょっとほほえましい光景だなーと思えてきますが、どうでしょう。
まあ、この話は後世の創作なのかもしれませんが‥
こういう話が伝わっているということは、庶民の感覚として、直政のような才覚で12万石になった、ある種スーパーマン的人物を「すごいなー」と思う反面、それをちょっとへこましてやりたい(彦左衛門にとっちめてもらいたい!)、という人々の願いが込められていたのかもしれません。
いつの時代も彦左衛門は人気があるはずだよ‥。
↑イラスト解説・どんなに若いころの話でも、彦左衛門というとどうしてもこの姿が‥。

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