みかぶしトリビア・リニューアル

三河武士に関する意外な(ちょっとうさんくさいことも含めて)真実。

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トリビア35・「井伊直政は大久保忠世に‥」

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『井伊直政は大久保忠世に味のない鍋を食べさせられたことがある』

(出典・・桜田晋也「芋汁武士道」祥伝社ほか)

大久保一族の首領・大久保忠世は面倒見のいい人でした。

一方、井伊直政(当時はまだ万千代)。遠州人でありながら、たった一人で三河武士の中に飛び込んではや数年。
三河譜代の中にも溶け込めず、さりとて溶け込む努力もせず(たぶん)、なーんとなく浮いた存在であったと思われます。一方、殿からひいきにされるたびに、譜代からは陰口を叩かれます。いじめもあったでしょう。
ある戦でのこと。直政に、忠世からの使いが来ました。
「ただいま皆で集まって甘(薄塩)料理の最中でござる。井伊殿もぜひおいでくだされ。」

気は進まなかったのですが、大久保党の首領の誘いとあれば行かないわけにもいきません。

忠世の陣中では、三河譜代の若い衆が集まって鍋パーティーの最中でした。
さっそく万千代、勧められるままに一口。     ‥んが!

「うげっ、まずっ!!」

汁にはぬか味噌のほか味がなく、芋の他、はっぱ、茎などが一緒に煮込んでありました。
‥しかし、皆はろくに煮えてもいない汁を手に取り、おいしそうに食べています。「???」

あまりのまずさに椀を置いてむっつりしている万千代に忠世がニコニコと
「おや、井伊殿はなぜお食べにならぬ」
「‥もう少し味をつけたらよかろう、味噌とか、しょうゆとか‥」

それを聞いた他の三河侍はここぞとばかりに
「さすが万千代殿はお若いのに美食家であることよ。ははは。」
「陣中にしょうゆなどあるわけもない!これだからよそもんは。」
「‥(うるせー下賎の者どもが!)」

 しかし、忠世だけは笑わず、万千代に、
「この芋汁はまずいが、わし等の家来とその家族は、これさえ食うこともできないでおる。
なのにいくさとなれば、命を捨てて忠節を尽くしてくれる。
一方百姓はイモを作って主君に差し出して自分の口に入れることもならん。
大将たる者、この味を忘れず武道に励まねばならんのだよ。
だから我等はこんな芋汁を食うのだ。」

 と、諭したといいます。

 後年、大身になってからも直政(万千代)は「あの時の味が忘れられない。」と家臣に漏らしたといいます。

‥この話。見方によっては軽い体育会系いじめのようにも見えます。
‥わざわざ将兵がまずい鍋を食ったところで下々の者が潤うわけでもないし、無駄な禁欲主義、ただのマゾと笑うこともできるでしょう。
でも、忠世が本当に言いたかったことはそんなことではなく。

 忠世は仲間に溶け込めない万千代をわざわざ誘って
「三河武士として生きるための考え方・ものの見方」
を教えようとしてくれたのです。
なにしろ、ただでさえ分からない勇猛な三河者の思考回路(当時、三河武士は他国者にとって映画「300」におけるスパルタ軍並みに理解不能な別人種だった‥みたいです)。
他の三河者なら生まれながらに肌でわかっているものを、万千代はいきなり理屈で覚えなければならないのです。

助けたって見返りもない、さりとて従順でもないので、だれも相手にしない孤立した人間。
そういう人に手を差し伸べてやれる、忠世はそんな懐の深い人だったのでしょう。
一向一揆に加担して国を出た本多正信を家康に推挙してやったのも忠世でした。

そんな忠世のおかげか井伊万千代、のちの直政はやがて「譜代より三河武士らしい三河武士」となって家康に仕え、ついに譜代トップの地位に躍り出ます。
しかし、大久保家には悲惨な運命が待っていました。


後年、大久保忠世の息子、忠隣が政治闘争に敗れて失脚し(政敵はあの本多正信!)、身を寄せたのはなんと井伊家でした。
井伊家はすでに直政の息子・直孝の代でしたが、忠隣に五千石の扶持を与え、清涼寺の向かいに屋敷を建てて遇したそうです。
ひょっとしたら直孝は父直政からあの遠い日のことを聞いていたのかもしれません。

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