みかぶしトリビア・リニューアル

三河武士に関する意外な(ちょっとうさんくさいことも含めて)真実。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

トリビア25・鳥居元忠の子孫は家康忠勝300年祭の公式テーマソングを作っている




『鳥居元忠の子孫は家康忠勝両公300年祭の公式テーマソングを作っている』

久々に帰ってきました「偉大なる鳥居家子孫シリーズ」!(いつからそんなシリーズに‥?)
以前ご紹介した鳥居元忠の子孫で「箱根八里」の作者、鳥居忱(まこと)氏ですが、三河武士の歌だけでなく、実は大正4年に岡崎龍城神社で行われた「家康忠勝両公三百年祭」のために家康と忠勝の歌を作っています。
今で言う「公式テーマソング」ですね。

タイトルはその名も「葵の誉」!

家康忠勝両行三百年祭唱歌「葵の誉」(作詞・鳥居忱 作曲・梁田貞)

一、清き流れの徳川や、水魚の中の君(きみ)と臣(おみ)。
   三つ葉葵に立ち葵、何れ劣らぬいさぎよさ。
  豊太閤は何者ぞ、千載不出の英雄ぞ。
   其の英雄を凌ぎしは、三河の勇士の魂ぞ。

二、鷹野姿のいと軽く、渠(かれ)制するは唯是と。
   山の尾崎に駒を立て、鞭を揮ふも勇ましさ。
  豊太閤の握るなる、天下を呑むや東照公。
   仰げや仰げ其勇気、三河の正気ぞ茲に在る。

三、金の瓢の馬標(うまじるし)、押し行く適の間近にて。
   川の岸辺に鎗(やり)をたて、馬に水飼う勇ましさ。
  豊太閤の率ゆなる、軍旅を呑むや映世公。
   慕へや慕へ其勇気 三河の正気ぞ茲に在る。


いかがでしたか?戦前のなんとも純真な歴史観・家康観が伝わってきますね。

なお、出典として引用した「家康忠勝両公三百年祭紀要」(大正四年発行)には当日の模様も詳しくのっています。

それによると、このお祭りは当時の岡崎の総力をかけた大プロジェクトだったようです。

かいつまんで引用しますと‥。

祭りはなんと3日間にわたって執り行われたそうです。いくら岡崎の誇る偉人二人のお祭りだからって、今では考えられませんね。

しかも、岡崎市街の家々の軒には三つ葉葵と立ち葵の紋を描いた提灯が掲げられ、商店にはさまざまな店頭装飾が施されていたそうです。なんだかすごく盛り上がってたようです。

出典の本の解説によると、

「我岡崎市民の脳裏には大祭以外に何者をも認めず、大祭なるものの外市民を支配するものがなかったのである。嗚呼岡崎は熱狂のウズ(?草冠に大に巳。字が出ませんでした‥)と化した!」
‥という感じだったそうです(う~ん、お役所の発行した本とはおもえない、ドラマチックな書きっぷりぷりですねえ‥)。

神社での例祭、大学教授の講演会のあと、夜には家康と忠勝の馬印のイルミネーション(!)が点火され、なんと一万五千人の学生による提灯行列(口々に以前トリビアでご紹介した「三河武士」を叫びつつ)を行ったそうです!ありえないよ‥!
(なお、このとき「要項」には行列の途中、本多家の来賓に会ったときは「万歳」を唱え敬意を表すること、となってたそうです。なんだそりゃ~!)

二日目には来賓接待のために呼ばれた芸妓百四十名による行列(う~ん)。なんと全員三つ葉葵と立ち葵の大紋入りの衣装。
そして大祭のあと、例の「葵の誉」が

一万二千人の学生

によって合唱されたそうです!

この資料には「二神も莞爾として傾聴されたこととおもう」なんてかいてありましたが、どうかなあ。

何はともあれ、現代では金銭的にも気持ち的にも考えられないこと尽くしですが、まだ純粋に故郷の英雄をたたえ、誇りを持てた、なんとものどかな時代のお話ですね。

‥もしこの時代にタイムスリップしたとしたら。
いくら三河武士ファンでも私はやりたくないです。

「へえ~」ボタンの代わりに拍手ボタンをつけました。
「へえ~」と思った方はクリックお願いいたします↓

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。