みかぶしトリビア・リニューアル

三河武士に関する意外な(ちょっとうさんくさいことも含めて)真実。

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トリビア18・榊原康政の子孫は出陣の時に一度ボロ鎧を着る




『トリビア18・榊原康政の子孫は出陣の時に一度ボロ鎧を着る』

(出典・「家康十六神将」徳永真一郎・毎日新聞社)


康政(幼名小平太)は岡崎の大樹寺で幼い頃読み書きを習っており、早くからその秀才ぶりが評判になっておりました。
今川から岡崎に帰ってきた家康にもその噂は伝わり、13歳の彼を近習に取りたてます。家族友人大喜び!

早速兄弟子が「武士になったのだから」と
具足をくれました。でも、使い古されてぼろぼろのちぎれ具足です。

当時の三河は今川家の支配から脱却した直後。家康が人質から戻ってきたとはいえ、まだまだ康政の家も貧困の生活を続けており、鎧が買えなかったのです。


そのうち三河に一向一揆が勃発、17歳の小平太も初陣を飾ります。着ているのはあの、ちぎれ具足。

一揆勢は「仏に弓を引くものは地獄に落ちるぞ」と声をあげ、突き進んできます。思わずひるむ徳川軍。

その時小平太、兵士たちにむかって

「ならばわれこそ仏敵となってやる。あらゆる仏罰はこの小平太一人が引受けた!皆のもの、ひるむな!」

と叫んで、真っ先に突き進んでいきました。

この声に味方は勇み立ち、敵をたちまち蹴散らしたといいます。

家康はこの功に大変喜んで自らの名前から「康」の一字を取って小平太に「康政」と名乗らせました。

榊原家ではこれをめでたい前例とし、以後出陣の際は最初にちぎれ具足を来て、それから別の具足に着替えるのを慣例にしたのだそうです。


うーん、かっこいいですね、康政。誰もが神仏を恐れたこの時代、こんなことを言ってのける17歳、なかなかいない!


お寺で勉強していたということがかえって神仏に対して一歩退いた、リアリスティックな見方を養ったのかもしれません(そういえば彼の旗印は「無」ですしね)。


ともかくこれを皮切りに、四天王の一人、10万石の大名にまで出世した康政。
酒井や本多などの譜代家臣でもなく、直政のように名家の出身でもない彼は、真に実力を頼りにのし上がってきた人だったのでしょう。

しかし一度ボロ鎧を着て脱いでまた具足に着替える‥、戦のたびにそれでは子孫はたまったものではないかもしれません(平和な時代が来てよかったよかった)。


PHP文庫から出ている小説「榊原康政」は数ある三河武士ものの小説の中ではかなりいい本だと思います。康政にご興味をもたれた方はぜひどうぞ(同シリーズに忠勝と直政の小説もありますが‥そちらは絶対お薦めしません‥!)。

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