みかぶしトリビア・リニューアル

三河武士に関する意外な(ちょっとうさんくさいことも含めて)真実。

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トリビア29・三傑が同時に一番乗りを果たしたという史料がある




『三傑が同時に一番乗りを果たしたという史料がある』

「井伊年譜」という書物にあった話、として「井伊軍志」にちょこっとだけ記載されている話なのですが‥。

1579年4月25日、場所は遠州馬伏塚(まぶしづか)。
武田勝頼軍を退けるため出陣した家康軍。
そのとき、な、なんと!

本多平八郎、榊原小平太とともに井伊万千代が敵陣一番乗りを果たした

んだそうです!!!

たったこれだけの記述、しかも井伊家の年譜にあるということは、きっと嘘っぱちに決まってる(よくある、「うちのご先祖偉いんだぞ」系のつくり話)!‥とはおもうんですが、
そんなことはどうでもいいんです!
(以前も言ったように、このトリビアの選考基準は
「多少胡散臭くても管理人・孔がわくわくした記述」なのです)

‥このシンプルな記述に、なんだかいろんな想像を掻き立てられてしまいませんか?
当時忠勝・康政31歳。
姉川も三方が原も乗り越えて、二人とも徳川軍に無くてはならないまさに「旬」の若き猛将です。
本多・榊原二将の先陣争い‥というだけでもわくわくしますよね。
たぶんこの時、徳川最強の二人の英雄の「真剣勝負」に、他の三河武士たちも少し遠慮して見てたんじゃないかしら。

そこに(たぶん)突然割って入った‥19歳の、小姓万千代。
敵も味方も、みんな絶対こう思った。
「なんじゃいあいつは!?」

きゃ~!!直政ったら生意気~!!

当時、直政はもちろん自分の軍勢などはもっていなくて、給料も3000石くらい(18000石という記述もあるそうですが、井伊軍志の著者・井伊先生は「不自然である」と退けられています)。
他の二人に勝るものといえば数年前に
家康にねだって拝領した栗毛の名馬だけ。
それと、
「譜代家臣の中で生き残ってやるじゃ!」
‥という、燃えるようなプライドとハングリー精神。

こんな直政くん、家康はかわいくて仕方なかったでしょうねえ。
忠勝や康政も「生意気だなこの若造」と思いつつ、まあ二人ともできた人なので彼をかわいがったことでしょうね
(まだこのころは赤備えを直政に持っていかれるとは思ってもいないやさしい康政‥)。

←イラスト解説
‥そんな三傑君たちに打ち負かされた武田軍の、(昔の)軍師。
彼も東三河出身なんですねー。
ちなみに岡崎には「山本勘助の墓」なるものがあるそうです(市橋先生が教えてくださいました)。
‥相変わらず岡崎は戦国ミステリーランドであります

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トリビア24・「忠勝・康政・直政が酒盛りをしたという逸話がある」




『忠勝・康政・直政が酒盛りをしたという逸話がある』

(出典・「井伊軍志」ほか多数)

さて、実はこのエピソード、有名だと思ってたらそうでもないようなので載せることにしました。もしご存知の方は飛ばしてください。
‥考えてみればこのコーナーに載せる基準は「多少信憑性がなくても私が本を読んで「へ~」と思ったこと」ですから、有名でもかまわないんですよね。

管理人は最初この「酒盛り」エピソードを読んだときはあまりにオタク心をゲットするシチュエーションに、歴史書に書かれた事実とはとても信じられず、てっきり筆者の創作だと思い込んでいました。

時は関が原が終わって間もないころ。
三人は井伊の屋敷に集まって酒を酌み交わしておりました。忠勝と直政は関が原で一緒でしたが、秀忠軍について中山道ルートを通った康政とは久々の再会です。
最初はおのおのの家臣も同席していましたが、じき三人と小姓だけの気のおけない仲間同士の、三河弁飛び交う酒盛りとなりました。

忠勝・直政は戦で手柄をたてましたが、康政だけは戦場に遅れたため手柄なしです。

そんな康政を親友の直政がフォローします。
「われわれの手柄はたいしたことではない、式部(康くん)が殿に秀忠様のことについて弁明したことこそ第一の功じゃ。」

これは関が原の戦いに遅れて着いた秀忠に怒った家康がわが子に会おうともしなかったのを、康政が切腹覚悟で家康に直談判、遅参の理由を理路整然と説き、ついに家康と秀忠を和解させたことを言っています。

「どれほどの勝ち戦でも、父子が不和では何の益もないからな」
「いやいや、間に合わなかったのは事実。なんともならん。」しょげる康政。

忠勝も直政と一緒に盛んに康政を元気付けますが、直政よりストレートな性格の忠勝はついに疑問に思ってたことを口にしてしまいます。

「しかし妙よな。大殿にさえそのように諫言できるそなたが何故佐渡(本多正信)の言うことにやすやすと従い、上田城を攻めなかったのだ?」

これは遅参の最大原因となった上田城攻めの話。
「2~3日待ってくれれば開城する。」
と言った真田の言葉を信じ、待とうとする正信とそれが敵の作戦だと見破った康政が対立。ですが結局正信に押し切られたことを指します(結果はもちろん康政の読みどおり、真田の作戦で、秀忠軍は足止めをくらってしまいます)。

康政は「それもそのとおりじゃな」と黙って笑うだけだった‥。

最後の康くんの笑いについては本によっていろんな解釈がありますが、もとは「藩翰譜」にあるエピソードなのだそうです。


しかし!私がここで本当にいいたいのは「井伊軍志」の、(←私が最初にこのエピソードに出会った本)このくだりの記述がすごい、ということです。

まず冒頭。
井伊さまが命がけの戦を終え、生きて康政に会えるのが
「奇妙なほどうれしかった」「このときほど喜びで感情が昂ぶっったことはない」
という筆者さまの(たぶん井伊様になりきった)ト書きにはじまり‥。

戦の直前、忠勝と直政はささいなことで喧嘩してしまう(まあ、直政が一方的に怒っているだけなのだが)のですが、二人とも鎧を取ってこうして会うと妙に恭謙な気持ちになってしまい
「まるで気恥ずかしいくらいである。」
絵面を想像するとなんだか読んでるこちらが気恥ずかしくなりますが、かわいいぞご両人!

さらに話は忠勝から見た直政の人物論(忠勝モノローグ)になります。
「(いつまでも三河者根性の抜けない忠勝は)その気宇の大きな政治性にめくるめくような思いを抱いた」
「(直政の壮大な政治的発言は)今も忠勝の耳朶に新鮮に残っている」
と、なにやらちょっとエロチックな(?)表現で語られております。

さらに、直政の優れた政治性と、戦で見せる幼稚性について考察した結果、
「実に奇妙なおとこだ」
と思う、直裁的性格の忠勝‥そうか、そんな風に思ってたのか、忠勝。

そんな不可解さをそのままに、直政の言葉に大きくうなずいてやる忠勝
「包容力においては忠勝は直政に遥かにすぐれているのである」
という筆者のコメントが。歴史の本と言うより、まるで筆者様がその場に居合わせたような‥。

筆者(いや、もう尊敬の意味を込めて作者とお呼びした方がいいかも‥)の思い入れがあふれんばかりに込められていて私はもう毎回読むたびにほほえみながら泣いてしまう。

ほかにも忠勝と直政の性格の比較論、関が原直前の両者の不和、直政若き日の性格論、そのどれもがすばらしく、その辺の小説よりよっぽど三傑(特に直政)への愛があふれていて、幸せになってしまいます。

‥私はこの本で井伊様にほれました。

孔のHPの「三河武士リンク」から「井伊軍志」は注文できます。井伊ファンの方はぜひご一読されるといいかも(^^)/。

あと、実はこの「酒盛りエピソード」が見られるアニメがありますが‥内容がサイテーにいまいちなのでご紹介すべきか否か迷ってます。声優陣はすばらしいんですが。


↑イラスト解説。大河「徳川家康」で一番好きなエピソード。信康と徳姫の婚礼の引き出物として信長がくれた鯉を主君の知らないうちに食べてしまう数正(原作では鈴木なんとかいう人の役だったけど、これを数正に配役した大河スタッフはえらい!)。このとき、忠勝、康政もおなじシーンに出てきますが、忠勝は家康の刀に水を引く役。康くんに至っては鯉の世話係(!)だったりします。筆頭家老数正と殿の前では二人はぺいぺいです‥。

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